一鳴驚人日記

外資系企業でM&A関係の仕事をしている若僧のブログ。キャリアや時事ネタに関してその時々に感じたことを書いていきます。

M&Aにおける雇用保証

M&Aにおいて、買収対象となる会社の雇用の保証が交渉の焦点となることがある。

「買収後(統合後)○○年間は、従業員を従来以上の条件で雇用し、通常の事業活動における転勤の範囲を超えて転勤させない。」というものだ。

今回はこの問題におけるそれぞれの立場にある人の考え方と現実的な対応策を考察したい。



売り手の論理

売り手(自社の子会社や会社の一事業を売る側)は、自身のレピュテーションや社内のモチベーションを気にする。売却後に大規模なリストラが行われるとなぜ「そんな企業に売却したのか」と世間から言われかねないし、売り手自身の状況によっては当然将来的に他の子会社や部門を売却する可能性もあるわけで、そうすると自社(グループ)の社員は戦々恐々としてモチベーションが下がってしまう。

対象会社の論理

合併などの統合案件では、身売りする側は主導権を取られる以上、出自を理由に解雇されたり、出世の道が絶たれることを警戒する。特に特殊な設備や販売網など、人材以外の価値が目的となる案件の場合には、お目当の設備や販売網を手に入れたら、人はいらないという可能性が高まるため、統合交渉上も重要な条件とされることになる。

同業者であれば、必然的に部門が重複するため、管理職は不要になるケースは容易に想像される。厄介なのは、交渉するのが管理職なので、場合によっては彼らの気持ちを汲んであげなければ交渉が進まない。

従業員に限って言えば、全く同じビジネスをしていない限り現場の人員は必要なため、いきなり解雇という可能性は管理職より低い。給料も低いので、コスト削減の対象としても効果は限られている。ただし、部門自体が不要になる場合にはこの限りではない。

日本ではアメリカほど簡単に解雇できないが、将来に対する不安も理解できるし、警戒する気持ちも理解できる。

買い手の論理

買い手からすると買収対象・統合対象の従業員の雇用保証は以下の2点により難しい。

  1. 従業員間の公平性の担保
  2. 経営の自由度の確保


自社の社員に対しても雇用の保証はしていない場合、買収対象企業の従業員の雇用保証をすることは、自社の従業員にとって公平でない。明らかに買収対象企業の従業員が優れたスキルや経験、リーダーシップを有していたとしても、雇用の保証ではなく、自社の一部門となった後の従業員間の出世競争が公平であれば、それらの優れた資質に報いることができるし、実力主義を標榜するのであればなおさらそうであるべきだ。

シナジーを見込んだり、何らかのビジネスの発展を思い描いて対象会社を買収するものだが、将来は常に不確実であり、計画通りの収益を上げることはどんな企業にとっても難しい。当然、赤字になれば人員削減を、黒字でも事業運営していく中でより効率化可能な処遇、人員配置をなにものにも縛られずに実行できる権利を確保し、経営の自由度を残しておきたい。ましてや、SHARP東芝といった数年前までの超優良企業があっという間に、リストラを実施しなければいけないご時世では、経営陣といてそうした思いは強いだろう。そしてそれは合理的であり、もっともな考えである。そもそも日本では解雇がしにくいので、買い手側の理想としては不要な人員を売り手側で整理したうえで、買収できるのがベストである。

とはいえ、折角買収したにもかかわらず、事業運営上重要なの人材が抜けてしまっては、事業運営にも支障をきたし、十分に期待した事業の価値を維持できないことになってしまうので、買い手としては重要な人材は残し、不要な人材は辞めてもらうということ目指すことになる。

終身雇用のローテーションの弊害

日本ではまだまだ終身雇用の企業も多いと思われるが、終身雇用の企業が外資のような非終身雇用の企業に買収されるケースは交渉が一層難しくなる。交渉を担当する経営陣・幹部層含めて終身雇用の企業に入社したのであり、それが当たり前だと思っており、そうでなくなることに抵抗が強くなる。

また、多くの日系企業はジェネラリストの育成のために、業務のローテーションを行っている。しかし、近年では、企業全体ではなく、必要な部門だけの買収、いわゆるカーブアウト案件も増加している。この時、ローテーションでたまたま対象事業部に在籍していたので、他の企業に移籍する人が生じてしまう。そして、買収側がスペシャリティ志向の企業の場合には、何年も同じ部署で経験を積んだ人員と同じ基準で評価されることになる。逆に本当は移籍したかったのに、一時的に他部署にいたため移籍できないというケースも生じてくる。

そうすると、売り手や対象事業の経営陣は一層リストラの可能性を容認しにくい。ローテーションさせた自分にも責任があり、それを棚に上げて強く移籍を要請することは難しいといういっぽうで、ローテーションは終身雇用を前提とした長期的な視点をベースにしており、単純に自分が悪いわけでもなく、責任の全てを取らなくてはならないという考えにもなりきれない。一言でいえば、責任の所在があいまいになりがちな、もめやすい面倒な話なのである。

特に株式ではなく、会社の一部門のみを売買する事業譲渡の案件の場合には、従業員の個別同意が必要になるため、売り手にとっては短期間で、できるだけ多くの従業員の同意を取り付けるためにも、よりよい雇用条件を提示することができるようにしておきたく、もっとも重要な条件である雇用保証を要求することになるのである。

取りうる手段

最終的には、買い手と売り手の交渉力によって決着することになる。売り手にどうしても売らないといけない事情があれば、買い手の交渉力が強まるし、一方で、買い手が事業戦略上どうしても買収する必要がある事業であれば、売り手の交渉力が強まる。結局は交渉力が強い方の意向に沿うことになる。

買い手の交渉力がより強く、かつどうしても雇用保証を受け入れられない場合には、労働組合の反対による案件の長期化や人員の散逸による事業価値の低下のリスク受け入れる必要がある。これは売り手の力だけでコントロールできないからである。前者に関しては、買い手がそれ以外でより良い条件提示を行ったり、自社の方針やビジョンよく説明し被買収企業の従業員の不安を緩和することが重要となる。以前に統合を実施していれば、その後被統合側の従業員の処遇が如何に公平に扱われたかを事実に基づいて説明するということも考えられるだろう。後者に関して言えば、定量化可能であれば、買収価格を引き下げることによってリスクを低減することも考えられる。

また、別の手段として、雇用は保証するものの、それによる余剰人員によるコストや固定費の増加という将来収益へのリスクを買収価格におりこんでしまうという方法もある。買収価格があまり問題にならないケースでは有効となる。「雇用を保証してほしいのは売り手なのだから、その要求に見合う代償を払え」ということだ。



案件遂行後の雇用保証は、売り手と買い手の利害が真っ向から対立する論点であり、非常に敏感な論点でもあるので、交渉に当たっては自社の方針、先方の希望、そして交渉力を総合的に判断して慎重に扱っていきたい。