一鳴驚人日記

外資系企業でM&A関係の仕事をしている若僧のブログ。キャリアや時事ネタに関してその時々に感じたことを書いていきます。

師有り遠方より来る亦楽しからずや

先日高校時代の恩師が私事で上京してきたので、卒業して以来初めて会った。


折からの台風のような案件の中、見事に台風の目のようにその日の夜は案件が落ち着き、唯一心配していた夕方に急遽入ったクライアントとの打ち合わせもうまいこと直前で終わり、レフトにホームラン性のあたりが飛んでドキッとした後にファールで切れていったのを見届ける投手のように心の中でガッツポーズしながら、都内某所に馳せ参じた。


今時携帯電話を持たない人は、先生か自分の親父くらいだ。いざという時連絡がつかないというのは相手にしたらプレッシャーだが、昔はみんな携帯を持っていなかったが、事前にちゃんと約束をして待ち合わせをしていたのだから、それを言われるとかなわない。


「君はかわらないな」と言われたが、先生もあまり変わっていなかった。先生も私が在学中の時と比べて特に変わっていなかった。


国語の教師である先生は、高校時時代「雑談」するので有名だった。先生曰く、「雑談なんぞほんの少しで大方真面目に授業をしていたはずだ」ということだが、今となっては、基本雑談しかしてなかったんじゃないかという気もする。


「文明の利器は人をダメにする」ということをはじめ、さまざまなことを、中学生に毛が生えた程度の高校一年生に問いかけ、学生と議論をした。食料自給率の問題に関して、そもそも日本の人口が多すぎるのではないかという説を披露するなど、何気なく当たり前だと思ってしまうことにも切り込む問いかけに、考えさせられたものだった。


クラスの大部分の学生は雑談を教科書が進まない休憩時間くらいにしか思っていなかったが、好奇心が旺盛で考えるのが好きな性分の自分にとっては、高校時代で最も好きな授業の一つだった。


「教科書はやらねばならんが、授業で学ぶべきは社会でいきていくための教養であって、大学の入り方ではない。」というポリシーは、国立大学や有名私立大を目指す学生も少なくない母校で受験勉強に勤しむ学生に学ぶことの意義を問い直すものだったに違いない。


しかし、現在は高校の現場ではどんどん教育委員会の影響力が強くなっており、指導要領から外れた内容を教えることは難しいらしい。「上」からのコントロールが強まる流れは、90年代に「日の丸君が代」を「強制」されて以降継続した趨勢であるとのことだが、それがますます強まっているとのことだ。


教科書を教えることは、いわば当然のことだが、もし個性的な授業がなくなってしまうのならそれは残念でならない。社会は教科書に書かれていることが全てではないのだから。


お互いの近況から、政治経済、宗教と科学、ブログのこといろんなことを話した。昔は教えてもらってばかりだった先生に、自分の専門分野に関して教えるというのは何か不思議なものだ。仕事柄、クライアント企業の課長・部長等自分よりひとまわりもふたまわりも年上の人に教えたり、説明することも少なくないが、先生に教えるというのはまた違った何かがある。


いつも自分の分野のことしか考えていないので、久しぶりにいろいろなことに想いをめぐらせ、ふとしたときに考えた自分の仮説や主張を話すことができてとても楽しかった。


先生は、アベノミクスM&Aのことも興味をもっていろいろ聴いていた。先生の深い洞察や面白い観点は常に好奇心をもって知ろうとする態度と思考することによるものなのだろう。自分もあと20年しても好奇心を持ち続け、エネルギッシュにいろいろチャレンジする人でありたい。


次は先生のもとを訪れてまた酒を飲みいろいろなことについて語りあいたいものだ。もう少し日本酒について詳しくなって。