一鳴驚人日記

外資系企業でM&A関係の仕事をしている若僧のブログ。キャリアや時事ネタに関してその時々に感じたことを書いていきます。

自分はやはりお金がない生活は無理だと実感した

人生をどう生きるかは「何が自分にとって大切なのか」ということを考えずには決められない。結局、よっぽど神に祝福を受けた類稀なる才能や強運を持つ者でない限り、幸せな人生を生きるためには「大事なものを手に入れそれ以外のものをあきらめる」ほかないのではないかと思う。全てを手に入れるには、人生はあまりにも短いし、機会はあまりにも少ない。


とはいえ、「何が自分にとって大切か」ということを理解することもまた一筋縄ではいかない。就活で多くの人が悩むのは、自分がどんな仕事に向いているか、どういった適性があるのかということを知ることが難しいということ以外に、結局自分にとって何が大切なのかを実は自分自身でもよくわからないということが原因なのではないだろうか。


かく言う自分も実は自分にとって何が大切なのかということがわかっているわけではない。どれも大切だし、すべて手に入れたいが、それを是とするならば、裏を返せば「これだけはほしい!」という譲れないものがないということになってしまう。


今日、急用があり急いで家を出た。用事が終わり、そのあと友人と夕食を食べるまでの間、調べ物でもしようとカフェに入って、財布を忘れたことに気付いた。持っているのはクレジット機能ついスイカののみ。スイカは持っていたので、電車での移動はできたのだが、カフェの支払いは現金or特定のポイントのみ可能とのことだった。何店舗か回ってみたのだが、タイミングが悪く、クレジットが使えそうなお店は営業時間が過ぎていて、結局どこにも入れず仕舞。困っていたところへちょうど、友人から夕食を早めるという提案があったので、そのまま食事にいった。


この出来事を通して、お金の大切さを改めて感じた。お金がないと本当に何もできない。カフェにすら入れないのだ。飲食はもちろん、買い物、カラオケやボーリング等の利用、携帯電話などの通信など、当たり前のようにできることが、お金がなくなるとできなくなってしまうのだ。


家や車を買うと言った、一生に何度もないような大きな支出はさておき、日常生活で何を食べるだの、どこに遊びに行くだのといったことでお金に困ることは特にないので、特に意識はしなくなってしまったが、お金がないということは、自分にとってこんなに不自由でフラストレーションがたまって、心を落ち着かなくなるものなのだ。


再発見だった。少し驚きだった。決して裕福でもない、不自由もあれば我慢することもあった普通の家庭に育った自分は、それほどお金に強い欲望をもっていたわけではないと思っていたし、実際今もそうではないと思う。一度手にしたものを失うのは難しいということなのだろうか。お金は自分の人生で、間違いなく重要なものであることは再確認できた。お金がない人生は、勘弁だ。なんかこう、冷静に思ってしまった。


「何が自分にとって大切か」とあれやこれやと考えていてもなかなかはっきりしないくせに、何気ない日常の一コマからふと気付くこともあるものだ。結局、そうやって少しずつ自分の人生のプライオリティが見えていければいいのかもしれない。それをうまくキャリアに反映させようとするならば、あまり悠長なことも言ってられないけれども。


ちなみに、スタバはスマホで決済できるようになるようだ。


スターバックス、スマホで注文・決済可能なサービスを日本国内でも計画 | Web@

もともとどの店舗でもクレジットカードが使えるので、ポイントが高かったが、これでさらに利便性が高まる。財布は忘れても、スマホは忘れない。他のチェーン店にもこういう動きが広がってほしいものだ。