一鳴驚人日記

外資系企業でM&A関係の仕事をしている若僧のブログ。キャリアや時事ネタに関してその時々に感じたことを書いていきます。

教えることのメリット ~自分の理解が試されている~

私はどちらかというと人に教えることが好きな質だ。学生時代成績がそこそこ良かったこともあり、よく同級生に勉強を教えていたし、バイトで塾講師もやっていた。


しかし、バイトならまだしも、他の人に好意で勉強を教えるというのは面倒だし、同じ時間があるなら遊びにでも行きたいし、遊びに行かないまでも、自分の勉強を進めたってもっと有効な時間の使い方ができると思う人も少なくないだろう。


もっともな考えだ。


しかし、私は教えることには意外とメリットがあると思っている。教えることはもちろん人助けにもなるし、教えた人に感謝される。だが、それ以外にも教えることで自分が本当に理解しているのか確かめることができる


小学校時代に一度算数の授業で、問題の解法を隣の人と教えあうという授業があった。先生の教科書を読み、先生の説明を聴いて、「なるほどそうか」と自分の中ではいつもどおりに理解したという認識でいたが、いざ隣の人に説明してみると、意外とうまく説明できず、「なぜ?」と質問されても答えられなかった。自分でもすごく驚いたのを今でも鮮明に覚えている。「自分は本当は理解していなかった。理解した気になっていただけだった!」と。


理解していないことを説明することはできない。逆に言えば、説明できないことは理解できていないのだ。


そこで、私は、「今度からは機会があれば教えたり説明してみたりしよう!意外と自分が理解していないという事実がわかるかもしれない!」と思った。元来感謝されるし、他の人を助けることができるので人に教えるのが好きだったのに加え、自分の理解を試す意味でも、それ以来教える機会があれば教えるようにした。


特にわかったようなわからないような時には、人に説明してみることで頭の中が整理される。加えて、自分では見落としていたり疑問にすら思わなかったことを質問されたりして、教えながらより一層理解が深まることも多い。


他の人に平易な言葉で、順序を追って説明することができるだろうか。要するにどういうことなのか。つきつめると結局どういうことなのか。ということを説明することができるだろうか。


むしろ学んでいる時こそ誰かに学んだことを教えてみる(=説明をしてみる)のがいいかもしれない。説明が止まってしまうところこそ理解が不足しているところであり、再度復習が必要な部分なのだ。どこがよくわからいないのかがもわからない時などは、そうして理解不足な部分を把握して、それらを潰していけば、効率的に学習ができる。