社員が死に物狂いで稼いだお金を、働かずに配当金として貰えるのが株式投資!これぞ資本主義の縮図なのかもしれませんね。 - クレジットカードの読みもの
という記事を読んで、思ったことを書いてみる。記事の趣旨は「株主はお金があれば働かなくとも配当金によって人が働いた成果をもらって楽に生活できていいな」ということである。
働かなくても収入が得られるのは誰もが望むことだろう。そのこと自体は心情的には理解できる。私も、いい給料もらいながら、夜中までエクセルいじって、英語でオファーレターのマークアップを作ってないで、平日5時くらいに退社してアフター5に友人と飲みにでも行きたい。
しかし、この記事のタイトルには何か違和感を感じる。
このタイトルを読んで「社員は一生懸命働いているが株主は何もしていない。それにも関わらず、株主は配当金として、社員が働いた成果を手にできる。」という印象を受けるのは私だけだろうか。そのように読むと、大抵の人は「株主が働きもせずに配当金として社員が働いた成果を手にするのはおかしい!ずるい!」と感じるのではないだろうか。株主はコストなしにリターン(報酬)を享受しているではないか、或いは、リターンに比べてコストが小さすぎるではないかと。
このような考えの裏には2つの前提条件がある。
- コストの大きさとリターン大きさは比例する
- 労働はコストだが資金提供はコストではない。
リターンはどのようにして決まるのだろうか
リターンはコストで決まるのだろうか。頑張れば頑張っただけ、リターンは大きくて当然なのだろうか。ぜひそうであってほしい。でも現実はそうではないだろう。
リターンというのは、他社に提供した価値によって決まるのだ。価値を提供するためにかかったコスト(=どれだけ頑張ったか)は本質的にはリターンに関係ない。極端な例でいえば、あなたはステーキが食べたくてステーキを注文したが、魚料理が出てきた。シェフは当然一生懸命その魚料理を作ったに違いないが、あなたにとってそれは価値がない。だからあなたはそれに対して代金を払わないし、結果としてシェフはリターンを得られない。
株主は資金を提供しただけで、死に物狂いで働いていないかもしれいないが、出資という形で資金を提供していることに価値があるため、彼らがどれだけ頑張っているかということは、彼らがどれだけリターンを得られるかには本来関係ないのである。
株主はコストを払っていないのだろうか
お客に付加価値を提供するためには労働力以外にも設備投資や運転資金(例えば在庫調達のためのお金)が必要になる。この設備投資や運転資金の源となっているのが、株主からの出資であり、コストがリターンを得るために支払った代償と考えると、出資はれっきとしたコストだ。
もちろん借入で資金を賄うことも可能だ。しかし、銀行も自分の資金がいくらあるのかということを見て貸し出す金額を決めるという点を考慮すると、出資金は企業にとって非常に重要なものであり、顧客に付加価値を提供するにあたって欠かせないものなのである。
コストの大きさという点では、一部の大金持ちを除けば、株主の多くは自分が稼いだお金を投資しているのであって、それは本質的に労働力の提供と変わらない。
株主が働きもせず配当金をもらうことは当然だ
結局リターンを得るためには、顧客に付加価値を提供し、その中で果たすべき役割を果たすしかないのだ。株主もその一環として配当金をもらっているにすぎないだ。「株主は働きもせずに配当金をもらっていてずるい!」と思った人はこの点も意識してみるといいだろう。
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