企業買収においては買い手が売り手から売却対象会社(以下、ターゲット)を取得するために、ターゲットの所有権である株式に対する対価を支払う。株式の対価最終的には交渉次第であるが、おおまかには理論的には以下によって計算される株式価値を基準として調整を加えた額となる。
株式価値 = 企業価値 ー 純有利子負債
企業価値(Enterprise Value): 企業のキャッシュ・フロー創出力
純有利子負債(Net Debt): 有利子負債 - 現預金
企業価値を評価する際にはDCF法や倍率法を用いることが多い。その際に使用されるFCFやEBITDAは標準化されているが、これはつまり、ある一定の条件のもとで企業が事業を継続することを想定し、短期的に大きな変化を想定していない。直感的にも、事業基盤が不安定なベンチャー企業や、大きな経営環境の変化、不祥事などによる企業自体の変化を除くと、半年程度では企業価値は短期的に変わらないと考えるのはそれほど非合理ではないと思う。(長期的にはキャッシュ創出能力が変化する場合は当然あり、それを企業価値に反映したい場合には、予測期間の延長や継続価値算出の前提を工夫することになる。)
しかし純有利子負債は短期的に変化する可能性がある。特に季節性のある事業では、純有利子負債の額が変動しやすい。
例えばアイスクリームは夏場のほうが売れるので、アイスクリームの生産者は夏前にはたくさん在庫もつ必要が出てくる。在庫を持つということは、仕入れの支払いをしているものの、販売していないので販売代金がまだ未回収の状態なので、現金が不足する(=現金需要が大きくなる)。この不足分を有利子負債の借入で補うことになる。しかし、冬場には夏場ほどアイスが売れないので、在庫も当然減り、資金不足が解消され、有利子負債の借入が減少する。
夏場と冬場で借入の額が異なるということは、上記の式を当てはめると資金需要の大きい夏場と小さい冬場で株式価値が変化する事になってしまう。
通常の企業買収では、時間が最終合意書(SPA)の締結から、対価支払及び株式の引き渡し(クロージング)まで数週間から数ヶ月の時間差があるので、2点間の株式価値が変動してしまう。例えば、先ほどのアイスクリーム生産者の企業価値が10億円の会社があり、6月末の純有利子負債が5億円、9月末の純有利子負債が3億円だとする。6月末時点で合意し、クロージングが9月末だった場合、売り手からすれば実際には5億円を手に入れる代わりに、7億円の価値がある企業を売却することになる。
そこで、このような2時点間の価値の変動を価格に反映する為に、価格調整が行われる。2時点間の価格調整には純有利子負債のみを調整する場合と、運転資本も併せて調整する場合がある。メカニズムは同じなので、前者を用いて説明する。
予めある基準とする有利子負債の額を定め、クロージング時点でその額を超える有利子負債がBSに計上されていれば、その分価格を減額する。逆に基準より有利子負債が少なければ、価格を増額する。
運転資本にも同様のメカニズムを定めるメリットとしては、通常のビジネスに反して売り手がターゲットに不当に在庫を減らすように命令することによって、有利子負債を減らし、故意に株式の価格を吊り上げることを防止することなどがあげられる。
上記で有利子負債を用いた価格調整について説明したが、同様に2時点間の価値の相違について純資産を用いた価格調整が行われることもある。
こういった調整は実務上一般的な手法だが、海外ではRocked boxというクロージング前の一時点を基準に価格を固定するというやり方も一般的に用いられているようだ。この場合には、予想BSを作成しそれから別途合意する調整額を控除して価格を定めるという時点間の違いに起因しない価格調整を行うこともある。
契約交渉は基本リーガルアドバイザーが主役だが、価格調整の部分はFAが活躍できる部分なので、理論的な背景及びバリエーションについてはしっかり抑えておきたい部分だ。