一鳴驚人日記

外資系企業でM&A関係の仕事をしている若僧のブログ。キャリアや時事ネタに関してその時々に感じたことを書いていきます。

新聞というメディア

デマをばら撒く古森義久氏と美化された自己イメージに酔いつつある日本人 - 誰かの妄想・はてな版

 

新聞は、「事実」を伝えることが重要な仕事であるのに、間違ったことを伝えても全く問題にならないこと、事実に反することを報道してしまう程度の品質管理体制しかなくて、新聞社が成り立つということに非常に驚いた。

 

もちろん意見を伝えることも新聞の役割の一つである。しかし、事実と意見は峻別されるべきであり、ましてや事実に反することを報道しまうともはや公に影響を与えるメディアとして、害はあっても価値がない。そもそも意見や判断は事実に基づいて生まれるのであり、その事実が正しく報道されなければ、それに依存している意見や判断は価値がない。

 

自分も仕事柄クライアントのために多くのことを調べる必要があるが、少しでも事実を誤認してしまおうものなら、クライアントの信用を失ってしまい、ビジネスが成り立たなくなってしまう。従って、クライアントに提供する前に社内での確認は非常に重要だ。

 

しかしながら記事の新聞社はそれをしていないことになる。それでもビジネスとして成り立つことに驚きつつ、実はかなり恐ろしい。

 

一般人はメディアを通してからしか情報を得ることはできない。「今はインターネットがあるから、グーグル先生に聞けばなんでも教えてくれるやん!」と思うかもしれないが、なんでも調べに行くほどみんな暇じゃないし、リテラシーによって得られる情報の質も異なってくる。何よりインターネットで調べることは、自分が問題意識を持っていることであって、メディアから得られた情報こそがその問題意識の入り口になる場合も多い。

 

見たニュースの内容について自分で深堀りして調べる人が一般的であれば、新聞で誤った事実が報道されても大きな問題は無いだろうが、現実はそうではない。自分も含め、メディアから得られた情報は「常に正しい事実に基づいている」という暗黙の前提にたって、理解してしまう。だからこそ、メディアは事実か否かの確認を厳格にすべきだし、万一自らの主張のために「故意に」事実に反することを書いたというのであれば、それは読者を欺こうとしているのである。

 

あらためて、メディアが発信する情報をそのまま信じることの危うさを感じる。それにしても、天下の有名企業も意外と適当な仕事をするもんだ。