一鳴驚人日記

外資系企業でM&A関係の仕事をしている若僧のブログ。キャリアや時事ネタに関してその時々に感じたことを書いていきます。

手段の目的化に関して

 
 

上記のブログに触発されたので少し自分の考えを書いてみる。

まず、iPhoneの例えは少し適切な例ではないと思う。

iPhoneにしたって、「製品を販売することで利益を出すこと」が最終目的なわけだから、「ニーズがあるもの」を売る、或いはいっそ「ニーズを作り出す」ということが、売って利益を出すための手段。

 

iPhoneを買うニーズを「電話するため」と定義すること自体がニーズの定義に失敗していると思う。iPhoneのニーズはその革新性であり、そのステータス性だろう。電話したいなら、ガラケーで十分だし。それは高級腕時計も同じ。人々が高級腕時計を欲しがるのは、ステータスシンボルだからであり、そのブランド力を消費しているであり、その機能だけではない。

 

手段が目的化することがなぜ悪いのかというと、本来達成すべき目的が達成できない可能性が高いからだろう。

 

では目的は達成しなければならないか?

 

それは場合によるだろう。

どうしても達成しなければならない目的もあればそうでないものもある。

前者は例えば会社が事業を継続していくことや個人が生存を続けていくことであり、後者はそれこそブログの著者が引用していたハンターハンターのエピソードのようなものだろう。後者は極端に言えば、目的を達成しなかったからといって特になんの問題もない。

 

でも、前者は死活問題だ。目的以外のことだって大切なものがあるかもしれないじゃん。その方が面白いこともあるじゃん。もちろんそうだろう。(ただし、死活問題出ないときに限る。)つまるところそういういうことだろう。

 

例えば、本来国内生産をすることで高品質を実現し高価格製品市場のニーズに答えていた会社がある。時代が変わり、高価格製品市場が縮小し、機能を絞った低価格品市場が拡大している際に、頑なに国内生産にこだわってしまうというのが手段の目的化である。すなわち、本来「市場のニーズに応える」という目的のために「国内生産」という手段を採用していたにもかかわらず、やがて国内生産有りきで戦略を考えるようになってしまう。

 

仮に国内生産にこだわることで、低価格市場の需要獲得の動きに追随せず(できず)、引き続き高価製品市場にこだわることで、技術革新が生まれるかもしれない。他製品への応用が効くかもしれない。しかしそれは結果オーライというものだ。

 

もちろんそういう企業があっていい。というか、現にあるだろう。しかし、目的を定め、それを達成するための最善の手段を講じるのと、目的は達成できなくてもいいから結果オーライを期待するのと、どちらが企業にとって生存の確率が高まるのかという視点で考えると目的を定め、そのために手段を講じるほうだろう。

 

筆者の主張には「ある意味で」同意する。目的の為の手段であれば、効率はいいがつまらない。それは目的として認識されないことは達成できなくなってしまうからだ。偶然失敗でもしない限り。(現実には100%成功することはないだろうが)しかし、死活問題の際には、もう一つ効率の良さという視点が必要であり、それを無視することは重大な欠陥ではないかと思う。

 

報告書を書くために部下に調べ物をしてもらって、たまたま部下がその分野について調べるのが楽しくなって膨大なエネルギーを費やして凄くマニアックなことまで調べてきても、そのために報告書が間に合わなくなったら、「おまえおもしろいやつだな」と思わないじゃないかな?目的を忘れて手段にとらわれるってそういうことだと思う。